◆ ところ変れば食変わる 〜 はじめの一歩

「ところ変われば食変わる」
国内外問わず飛び回るクルーという職業につくと実に様々なお料理、あるいは食材を口にする機会が多くなる。それらは時に「美味」として、またあるときは全く逆のものとして舌に記憶される。「グローバル化」といわれる昨今、人類みな兄弟の精神(?)で「まずい」「食べられない」という言葉は慎重に使いたい。

振り返ってみると、今まで口にしてきたものでまず食べられないものはなかった。「口にして」と前置きしておきながらおかしな表現だけれど、つまり「口にしたものはすべて飲み込んだ」ということ。日本人だと嫌悪感を抱きかねない食材をその土地の人が食卓に置くにはそれなりの理由があるはず。一見さんになりかねない私のような観光客もどきが批評などはおこがましい・・・とは思うのだけれど、ここ日本で過ごす時間が長くなるとそれらがやはり非日常に思えて来るのは人情だろう。そこで私が今考えると「別に食べなくてもよかったかもしれない」というものが結構あるような気がしてきた。
そこでつれづれに、また断続的に思い出しつつ書いていこうと思う。


国内線乗務時代、某所。
先輩に連れていっていただいた小料理屋さん。下戸の私は専ら酒のつまみのみを食べることに精を出していた。地元では結構名の通ったお店らしく、店内は小奇麗でお料理の載せてある器は気の利いたもの。勿論お料理もとてもおいしかった。
でも、今となっては残念なことに何を食べたのかは鮮明に思い出せない。余りにもその一品の印象が強すぎたので。

その時に一緒に乗務した先輩は所属しているグループがちがったのだけれど、このお店では常連さんのようだった。仕事でここに滞在するときには必ず立ち寄っているようで、勿論マスターも顔なじみ。メニューにないものを出してくれたりした。

「なかなか手に入らないのが今日は手に入ったから」
そう言ってカウンターにおいてくれたのは馬刺しだった。私にとっては生まれて初めて口にするもの。
「あら、うれしい!」
先輩は何の躊躇もなく箸をすすめる。馬刺しの存在は知っていたので、つられて私も。ショウガなどの薬味といっしょに戴くので思ったほど癖はない。
「美味しいでしょ?で、これを食べて欲しいんだなあ」
続いて出されたのはホルモン系の刺し身だった。
「これね、馬の心臓。活きがよくないと出せないから」

「活きがいい」
この表現、魚なら抵抗なくすっと、
「新鮮なのだな」
と思うのだけれど、馬となると思いは複雑だ。
私の目に浮かぶのは「サラブレット」と呼ばれるしなやかな体の馬達。そのすらっとした馬の姿が草原を駈ける場面を思い浮かべてしまう。そして、「新鮮な状態で」ということは「死にたて(殺したて)」ということになる。食用の馬がいるのだろうけれど、私にはどうしてもあの馬達の姿が。

大学時代、ある教授がチャウチャウ(犬)を食用として飼っている国の話を授業中にしたことがあったのをふと思い出した。その教授がたまたま公園でチャウチャウを散歩させている人がいたので声をかけると、
「いいでしょう、この肉付き。そろそろ食べごろなんですよ」
と、飼い主が言ったという。

たしかに「赤犬」といって、食べる地域があると聞いたことがあるけれど、果たしてこの教授の会話は本当なのか作っているのか。今となっては確かめようもない。ただ、自分たちとは違う食文化が存在することを身近に感じたことは覚えている。

私が食用として自分の中にある「肉」は、牛、豚、鳥、羊くらい。「馬」はあくまでも「鑑賞する」というカテゴリーの中に入ってしまっている。それをここで一気に「肉」に移動させるのはかなり抵抗がある。肉の部分を食べておきながら今さら、ではあるけれど、ホルモンではなく「内蔵」と思ってしまうとやはり抵抗が増す。自分でもおかしいとは思うけれどしかたがない。
こうなると文化人類学の領域だ。

「あら、くせがないのね」
「そうなんですよ、新鮮だから」
先輩とカウンター越しにその店のマスターは話が弾んでいる。
「こんな機会ないわよ、食べてみて」
ついに話の矛先は私に向いた。先輩に薦められて食べないわけにはいかない。とはいうものの、私の中では依然葛藤が続いていた。なにしろ、あの馬の心臓だ。
「本当にこんな機会めったにないですから、だまされたと思って食べてみて下さいよ」
と今度はマスター。

ここまで来ると私の頭の中は食べることに関してのいいわけを考えるようになる。ひとまず「馬の心臓」というのは置いておく。そして食べることの価値はどこにあるのかをフル回転で考え出す。そして最終的に行き着いたのは、
「めったに口にできない貴重なものを食べる機会に恵まれた」
というこの場面だった。とにかく二度と食べられない(言い換えれば食べなくてもいい)、いわば流行りの「季刊限定、逸品もの」を食べない手はない。

「あ、じゃあいただきますぅ・・・」
箸でつまみながら思う。そうだ、焼き肉屋さんや焼き鳥屋さんでだって考えてみれば結構すごいところを食べているじゃないの。レバ刺しだって食べたことがあるじゃない、モツ煮込みだっておいしいじゃないの・・・。
「くせがないですね」
先輩と同じ言葉を思わず言ってしまう。歯ごたえもしっかりあるし。これは「美味しい」に入るのではないだろうか。
「そうでしょう?何しろ新鮮ですからね!」
と誇らしげにマスターが応える。
ああ、その「新鮮」っていうのやめてほしい::

もともと好き嫌いはない私だけれど、不思議なものでこのときから妙な開き直りが私の中で出来上がった。
「馬の心臓が食べられたのだから大抵のものはだいじょうぶでしょう」

国際線移行を目の前に、この経験は私にとって貴重だった。そしてこれからいわゆる世界の食にとまどいながらも「経験として」受け入れていく初めの一歩になったのだった。

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