◆スチュワーデスへの道 〜 地上研修・その2

「あなた、○○ちゃんよね?」
私の名字に「ちゃん付け」をするその人は、特に自己紹介することなく事務的に話をし始めた。

勿論、私はその女性と初対面だったけれど、制服を着ていれば余計な説明はいらないかのような態度だった。その時点で私が予想できたことは、
「おそらくこれからお世話になる女性プロパー(地元採用の正職員)であろう」
ということだけであり(制服を着ていることはつまり同じ会社であるわけだし)、取りあえず粗相のないように心がけて応対した。

私たちは荷物をピックアップし、いわれた通りにタクシーに乗って「M女子寮」へ向かった。
「どうして私の名前がわかったんだろう??」
車の中ではその話で持ち切りだった。こちらは知らないのに、相手は自分のことを知っている。これは余り気持のいいことではない。

この謎はあとになってから解けた。実はこれから配属されてくる新人に 関する資料が写真付きで事前に空港の業務部へ送られていたそうだ。それをたまたま 目にしていた女性のプロパーが、同じグループに配属される私に声をかけたということらしい。

彼女はおそらく親しみをもって「ちゃん」付けで呼んでくれたのには違いないのだけれど、私は最後までこの呼ばれ方に馴じむことができなかった。
(ちなみに私以外の人も自分より年下であればみんな名字に「〜ちゃん」とつけて後輩を呼んでいた)

「M女子寮」に着いて玄関のチャイムを鳴らすと、寮管さん(寮を管理しているのでこんな呼び方をしていた)が現れた。家族でその寮の一階別棟に住んで いるらしい。寮の中を一通り案内され、最後に自分たちの部屋を見ることになった。 私は三階の一番端の部屋。その隣に同期の一人が入り、もう一人は私たちと階段をはさんで反対側の端の部屋、ということだった。三階建てのその建物は一階が玄関、食堂、応接室、浴室などがあり、二階と三階は私たちのような訓練生の部屋になってい た。プロパーの独身寮は別棟にあった。

「はい、これが鍵ね。荷物は部屋に入れておいたから。」
そう言って案内された部屋のドアを開けて呆然としてしまった。物置の様な部屋を目の当たりにして思わず、
「ここですか!?」
と言ってしまいそうになるのをぐっとこらえるのが精いっぱいだった。

部屋は畳四畳分を細長くしたような広さ。入り口のドアと反対側にある窓に面して机があり、それにほとんど密着する形で私の膝くらいの高さにベッドの「 箱」(この中に布団を入れればベッドの出来上がり)が置かれていて、本棚はベッド と平行して備え付けてある。床スペースは幅1メートル、奥行き1.8メートルほど 。そこに貼られているタイルは学校の教室を思いださせるものだった。収納は押し入れが一つ。大きめの段ボール四個分を入れて少し余る程度。

こんな間取りの部屋は私自身初めて目にするものだった。というよりも、物心ついてからというもの、いわゆる「集合住宅」と呼ばれるところで生活したことがないから余計に違和感と狭さを感じたのかもしれなかった。しかし、私はここで約五ヶ月生活しなくてはならない。とにかくこの部屋の居場所をよくするのが第一とばかり、とりあえず掃除を始めた。

聞くところによると、以前一部屋だったのを無理やり壁を作って二つに区切ったらしく、それでこのようなおかしな間取りになっているとのことだった。

夕食の時間になり、着替えてひとまず食堂へ行った。普段は食事のいる場合に食堂の食事表へ印をつけておく決まりになっているけれど、今日は特別に赴任当日ということもあり、私たちの分が用意されていた。食堂にいたのは同年入社の人達。中にはすでに三ヶ月の研修期間を終え、来月早々には客室訓練が始まるという人もいた。

しかし、私たちはとにかく「新入り」である。寮での様子がわかるまでは、もしこの寮の中での何らかの力関係があることを想定した場合、目立つことははばかられた。そんなことから、ここでもまた緊張しながら食事をした。

この寮には私たちのような訓練生ばかりでなく、現地採用の女性プロパーもいた。しかし、住んでいるのは別棟で、顔を合わせるのはお風呂でくらいだった。とはいうものの、やはり職場とプライベートで合わせる顔が同じというのは抵抗がある。

本来ならここでその寮で生活している人達の話を書くところなのだけれど、それは改めて別のエッセイにするとして、今回は話を先に進めようと思う。
(「寮で生活する人々」と言うよりは「初めて集団生活を始めた自分の目」という視点で、寮でのことは書こうかなと思っています。)

 

翌日、私たちは空港にあるオフィスへ出勤したけれど、すぐに現場で仕事ができるわけではなかった。まずは空港施設を見学しがてら各部署に挨拶回りをしてまわった。自分たちが実際に働く「旅客課」。そのほかに、「業務」「航務」「整備」の各セクション。そして「保健室」。それが終わると仕事に関する教育が始まった。

私にしてみれば羽田での経験があるので、そんなに難しいことはなかったけれど、やはり空港それぞれ仕事のやり方が違うので、覚えなおさければならなかった項目もいくつかあった。(現在ではどの空港もチェックインしてから搭乗するまでは同じ流れになっているようだ)

私たちのような訓練生(スチュワーデス訓練生、略して「S訓」)は、私が配属された時点で三グループにそれぞれ六人ずついた。割合としては旅客課全体の約三分の一弱がS訓といったところだろうか。羽田にいたころでは考えられない程その割合としては多い。

羽田にいたころはプロパーの人数も多いこともあり、「マンパワー」として頼られているという実感よりは、
「とにかくミスをしないで着実に基本的な仕事をしてほしい」
といった雰囲気だった。しかし、この千歳では全く逆で、私たちは「マンパワー」そのものという感じがした。と言うのも、今まで私が羽田で経験したこと以外の分野、つまり、予約、団体の発券なども直接S訓に任されているからだった。
「あのお、いいんでしょうか、私がこれ(チケットの予約を取ること)やっても?」
「いいも悪いもあなたしかいないでしょう?」
こんな調子である。

さて、教育が一通り終わり、私がグループに配属された初日。一年先輩 の男性プロパーAと組んでラウンジの仕事をすることになった。私の好みではないが 、見る人が見れば「格好いい」部類に入ること間違いなしの、ちょっとナルシスト系の人だった。

「よろしくお願いします」
「ああ、羽田でバイトの経験があるんだって?」
「あ、はい。でも、仕事をやめてから四ヶ月くらいたっていますし、細いところはぬけていると思います。それに、忘れているところもあるかもしれませんが ・・・」
私としては「謙虚な新人」、でいることが自分の身を守ることができる術だということを心得ていたのでそう答えた。
「まあ、すぐ慣れるから頑張って・・・」
こんな答えが返って来るのを期待していた。人を顔で判断してはいけないけれど、そういうことを言ってくれそうな感じだったのだ。しかし、である。
「そんな簡単に仕事は忘れるもんじゃないよ」
という予想外の答え。その見下すような口調に私は一瞬意表をつかれたけれど、そんなことにいちいち反応している暇もなかった。

それにしても、後輩に対する態度が余りにも横柄なので、こちらも自然と彼に対して厳しい目を向けるようになった。つまり、
「そんなにエラそうにするのなら、仕事ぶりを見せていただきましょう! 」
という雰囲気をそのままに、彼と仕事をする時は一歩下がって客観的に観察するようになった。その様子がわかったのか、相手の方も私の仕事ぶりをさりげなくチェックしているようだった。しかし、そう言う態度に出られると、こちらとして も普通以上にミスをしないように再三注意を払うようになる。まあ、これはこれで未然にミスを防ぐ手段としては有効なのだけれど。後からわかったことだが、このA先輩、非常に負けず嫌い。しかも、相手が後輩となるとムキになるのが特徴である。

さて、私が赴任してから一ヶ月を迎えようとしたある日のこと。そのA先輩がほくそ笑むような失敗を私はしてしまうことになる。

 

地上研修・その3に続く

 

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