◆ 地上研修 〜 寮での生活

私の「M女子寮」での生活は、結果的に五ヶ月あまりだった。
自分にとって初めての寮生活。しかし、その生活そのものが突拍子もないものだったのかというと、そうではない。

この女子寮には私たちのようなスチュワーデス訓練生(略して「S訓」)と現地採用の独身女性プロパーが生活していた。しかし、住んでいるのは別棟で、顔を合わせるのはお風呂くらいだった。洗面所、お風呂、居間(テレビが置いてある)、食堂など、自分の部屋以外の場所は「プライベート」というわけにはいかなかった。これが「独り暮らし」と違うところである。しかも、女性同志とはいえ、変な格好でウロウロするわけにはいかない。やはり他人の目は気になるものだから。

共用しているもので「電話」の問題は特に深刻だった。
公衆電話が三台あるのだけれど、テレフォン・カードがつかえるのは一台のみ。しかも、そのうち一台は寮にかかってくる電話を受信するものなので、極力使うのは避けなければならない。電話をかけるほうも待つほうも大変である。

玄関に近い所にその電話があるけれど、21時以降に鳴ろうものなら、「我先に」とばかりに一階の居間や二階、三階の部屋からすごい勢いで降りてくる。
「リ〜ン!」
「ドタドタ・・・」
こんな調子だ。まあ、予め電話が自分宛にかかってくる、とか遠距離恋愛中と言うS訓がその競争に加わることになるのだけれど、悲しいかな、私はその競争に参加することはなかった。ただ、いつも競争をしているわけではないので、呼鈴が鳴ってもなかなかでないことがある。そんなときは、「近くにいる人」もしくは「聞こえた人」が受話器を取ることになっている。そんなときは、
「リ〜ン!リ〜ン!リ〜ン!」
「ドタドタ・・・はい、M女子寮でございます。少々お待ちください。○○ちゃ〜ん!でんわ〜!」
となる。とにかく共用の電話が鳴るとちょっと騒がしい。
「リ〜ン!」
「ドタドタ・・・バタンッ! いた〜い!」
なんていうのもあったりする。

さて、地上研修も二ヶ月を過ぎた辺りから独身女性プロパー、Hさんと仲良しになった。と言うのも私たちがこの空港に赴任してからの教育担当が彼女で、私が同じグループになったせいもあって、わからないことなどがあると一番先に聞きに行っていたからだった。新人S訓にとってのいわば「駆け込み寺」といってもよかった。

あるとき、私ともう一人の同期Mが彼女のお部屋へお邪魔することになった。しかし、他の女性プロパーやS訓の目もあるので、とりあえず寝る支度をしてから(すぐに寝られる格好で)24時くらいに「こっそり」お部屋へ行くと言うことで待機をしていた。

寮の別棟は明らかに私たちS訓の部屋よりも造りが新しかった。
「何か私たちのところとちがうよねえ・・・」
深夜ということもあるので忍び足、ひそひそ声で移動した。めざすHさんの部屋は二階。軽くノックをすると静かにドアが開いた。

「お邪魔します・・・」
私たちの部屋の2.5倍はあるだろうか。部屋の真ん中にはコタツが置いてあった。季節的にはまだ秋、と言っても土地柄、朝晩は冷え込む。
「どうぞ、はいって」
私とMは遠慮なくコタツに入る。お茶とお菓子をご馳走になりながらおしゃべりは始まった。

最初はやはりかしこまった感じで会話していた私たちだったけれど、話題が恋愛のことに及ぶと雄弁になった。当時の私は失恋の傷がまだ癒えていなかったし、Mは正に恋愛の入り口に立っているところだった。

「いいわねぇ、青春って感じねぇ・・・」
「そういうHさんこそどうなんですか」
Hさんのはっきりした年齢は知らなかったけれど、30代前半くらいだったろう。いや、もう少し若かったかもしれない。

「実は、ここだけの話なんだけれどね・・・」
その話によると実はすでに婚約者がいるという。職場では全くそんなふうには言われていなかったし、冗談めかした噂はあったけれど、当分独身だろう、と言うのが周囲の見解だった。

婚約者は同じ会社ではあるけれど、東京で勤務しているらしい。
「えっ、じゃあ『遠距離恋愛』ですか?」
私たちはいささか驚いた。美人だし、人付きあいも上手なHさんに彼がいないわけがない。でも職場では全くそんな素振りを見せないので、私たちはすっかり職場での、
「彼女には彼はいない」
と言う噂を信じ込んでいた。
「狭いところだからね、いろいろ気を遣わなければならないし・・・。だから、このことはまだ一部の人しか知らないのよ」

そういえば、遠距離恋愛をしていることを公にしていた男性プロパーが、
「彼女は元気?」
「結婚しないの?」
と、特に独身のお姉さまプロパーからことあるごとにチェックを入れられている様子を見て、気の毒に思った事があった。その後、この男性プロパーの恋愛は駄目になってしまい、駄目になったら駄目になったでまた、
「大変だったわね。」
「しょせん遠距離恋愛はむずかしいわよ。今度は近くで見つけなさいよ。」
などと無責任なことを言われ、ますます落ち込んでいた。

「大人の世界っていろいろあるんですねえ」
Mと私は顔を見合わせて言った。
おそらくMは自分がこれから正に恋愛を始める(付き合い始める)状況だったから、社会人になってからの恋愛の難しさを思っていただろう。勿論その延長上には「結婚」を意識せざるをえない状況であることも。そして、真面目な彼女の心はますます真面目に恋愛に向かっていたはずだ。一方私はその恋愛から見離されたような状況だったので、「そんなものか」くらいにしか感じなかった。

ちなみに現在のMは、当時の恋愛が成就し、寿退職後子どもにも恵まれ、まさに「妻として、母として」あたたかで幸せな家庭を築いている。一方、Hさんはこの数ヶ月後に退社し、その婚約者とめでたく結婚された。

さて、こうして「深夜の茶話会」は私たちの地上研修が終わるまでに何度か行われた。こたつを囲んで24時から話し始めて、朝の5時くらいになってしまうこともあった。恋愛談義もさることながら、私たちが今までよくわからなかったプロパーの立場や「先輩後輩」の立場を超えた関係ができた。

生活する土地や人の様子がわかってくると、不思議なことに、「東京」の二文字を恋しがる気持は薄れていく。そして、いかにこの研修を楽しむか、に気持が向き始める。仕事も、人間関係も決して楽しいことばかりではないけれど、北海道に住めるなんていう機会はもうないかもしれないし。

休みになるとS訓や短期グランドホステスの人達と遊びに行ったり、時には職場の人達とドライブへ行ったりと、まさに人もうらやむ「北海道での地上研修生活」になっていった。整備課や航務課の人達とも話をするようになったのも、この頃からだったように思う。そんなこともあって「空港」にようやく自分の居場所ができたような気がしていた。

そんなある日、一通の分厚い封筒が寮に届いた。
羽田でバイトをしていたときの仲間からだった。封を開けると、四分の一くらいの大きさの便せんに一人一枚ずつ、十人以上の人達が書いてくれていた。
「北海道の生活は楽しんでいますか。美味しいもの食べているんでしょう?いいなあ。」
「相変わらず忙しい羽田です・・・」

読んでいるうちに便せんの文字がぼやけ始める。いくら忙しくても私の知らないところで気づかってくれる仲間の優しさがうれしかった。私はとにかく一人ひとりに返事を書き始めた。そうすることでしかこの嬉しさを伝える術はなかった。

東京を離れておよそ三ヶ月。北海道では「ナナカマド」があざやかに紅葉し、晩秋の到来を告げていた。そして私の「試用期間」も間もなく終わろうとしていた。

 

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