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◆ 地上研修 〜 寮での生活 私の「M女子寮」での生活は、結果的に五ヶ月あまりだった。 この女子寮には私たちのようなスチュワーデス訓練生(略して「S訓」)と現地採用の独身女性プロパーが生活していた。しかし、住んでいるのは別棟で、顔を合わせるのはお風呂くらいだった。洗面所、お風呂、居間(テレビが置いてある)、食堂など、自分の部屋以外の場所は「プライベート」というわけにはいかなかった。これが「独り暮らし」と違うところである。しかも、女性同志とはいえ、変な格好でウロウロするわけにはいかない。やはり他人の目は気になるものだから。 共用しているもので「電話」の問題は特に深刻だった。 玄関に近い所にその電話があるけれど、21時以降に鳴ろうものなら、「我先に」とばかりに一階の居間や二階、三階の部屋からすごい勢いで降りてくる。 さて、地上研修も二ヶ月を過ぎた辺りから独身女性プロパー、Hさんと仲良しになった。と言うのも私たちがこの空港に赴任してからの教育担当が彼女で、私が同じグループになったせいもあって、わからないことなどがあると一番先に聞きに行っていたからだった。新人S訓にとってのいわば「駆け込み寺」といってもよかった。 あるとき、私ともう一人の同期Mが彼女のお部屋へお邪魔することになった。しかし、他の女性プロパーやS訓の目もあるので、とりあえず寝る支度をしてから(すぐに寝られる格好で)24時くらいに「こっそり」お部屋へ行くと言うことで待機をしていた。 寮の別棟は明らかに私たちS訓の部屋よりも造りが新しかった。 「お邪魔します・・・」 最初はやはりかしこまった感じで会話していた私たちだったけれど、話題が恋愛のことに及ぶと雄弁になった。当時の私は失恋の傷がまだ癒えていなかったし、Mは正に恋愛の入り口に立っているところだった。 「いいわねぇ、青春って感じねぇ・・・」 「実は、ここだけの話なんだけれどね・・・」 婚約者は同じ会社ではあるけれど、東京で勤務しているらしい。 そういえば、遠距離恋愛をしていることを公にしていた男性プロパーが、 「大人の世界っていろいろあるんですねえ」 ちなみに現在のMは、当時の恋愛が成就し、寿退職後子どもにも恵まれ、まさに「妻として、母として」あたたかで幸せな家庭を築いている。一方、Hさんはこの数ヶ月後に退社し、その婚約者とめでたく結婚された。 さて、こうして「深夜の茶話会」は私たちの地上研修が終わるまでに何度か行われた。こたつを囲んで24時から話し始めて、朝の5時くらいになってしまうこともあった。恋愛談義もさることながら、私たちが今までよくわからなかったプロパーの立場や「先輩後輩」の立場を超えた関係ができた。 生活する土地や人の様子がわかってくると、不思議なことに、「東京」の二文字を恋しがる気持は薄れていく。そして、いかにこの研修を楽しむか、に気持が向き始める。仕事も、人間関係も決して楽しいことばかりではないけれど、北海道に住めるなんていう機会はもうないかもしれないし。 休みになるとS訓や短期グランドホステスの人達と遊びに行ったり、時には職場の人達とドライブへ行ったりと、まさに人もうらやむ「北海道での地上研修生活」になっていった。整備課や航務課の人達とも話をするようになったのも、この頃からだったように思う。そんなこともあって「空港」にようやく自分の居場所ができたような気がしていた。 そんなある日、一通の分厚い封筒が寮に届いた。 読んでいるうちに便せんの文字がぼやけ始める。いくら忙しくても私の知らないところで気づかってくれる仲間の優しさがうれしかった。私はとにかく一人ひとりに返事を書き始めた。そうすることでしかこの嬉しさを伝える術はなかった。 東京を離れておよそ三ヶ月。北海道では「ナナカマド」があざやかに紅葉し、晩秋の到来を告げていた。そして私の「試用期間」も間もなく終わろうとしていた。
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