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◆ 地上研修 〜
もう一つの故郷
十二月十日。
これが私の千歳での最後の研修日だった。ちなみに訓練はその一週間ほど後から始まる。
S訓が私たち同期三人と既卒で採用された数人しかおらず、いわゆる若手が少ないせいもあったのだろう、様々な職場関係の男性からお声がかかった。それはいわゆる「送別会」と言う形での食事会だったり、ドライブだったり・・・。しかし、残念ながら男性と一対一のデートの場面は全くなく、いずれも気のいい人たちに囲まれて楽しい時間を過ごした(もしそんな彼氏がいたら、その人との時間を大切にするあまり、他の人と食事会なんて参加しなかっただろう)。
もともと転勤の多い会社なので、人によっては海外勤務を経験していたり、国内でも、東京や千歳以外で生活したことのある人がいたり。勿論、彼女や奥様がスチュワーデスだったり、というケースもあって、こちらが質問することが多かったりした。
例えば、彼女がスチュワーデスの場合、
「自分が東京から離れていると、せっかく彼女が休みだからといってもなかなか会えないですよね?」
当時、「遠距離恋愛」という言葉がメディアでも取り上げられたころだった。
「そうだなあ、彼女が仕事先から手紙をくれたりするかな。電話はもちろんするけど。」
「でも、会う時間がないって不安じゃないですか?」
「そのへんは信頼関係でしょう?」
と言って、「何言ってるの、この子は?」とでも言っているかのごとく、その男性プロパーは笑った。
彼女が研修でここにいたことで知りあい、付きあっているらしい。こういったケースは多々あるようなのだけれど、私には全くご縁のない話だった。(ちなみにこの方は数年後にめでたくその彼女とゴールインした。)
また、「研修」という形で客室乗務員として一年ほど乗務経験のある男性プロパーには、仕事の内容などをあれこれと質問した。すると、自分の経験を踏まえた上で、
「とにかくいろいろな人がいるけれど、楽しいよ。ところで、お箸は正しく持てるのか?
そう言う基本的なことができていないと、恥ずかしいぞ?」
と諭されてしまった。もともと欠点を指摘するのが得意な先輩だったのだけれど、このときばかりは彼の予想に反して、私の場合、お箸の持ち方は厳しく躾けられていた。まずは両親に感謝。
「それじゃあ、いずれやらないといけないから練習・・・」
と言って、片手にフォークとスプーン、もう片方の手にお皿を持ち、盛りつけの仕方を教えてくれた。私は国内線チェック・アウトだったので、そんなファーストクラスで使うようなことはちょっと早いような気もした。しかし、先輩の言うことは聞いておくもの。それから二年後、国際線へ移行してから特に練習することなくオードブルを人前で盛りつけることができたので、大変助かった。
「もし、結婚したら仕事はどうするの?」
今度は逆に聞かれることがあった。(これは整備の方だった)
「いや、今はまだその相手もいないので、何とも言えないですけれど・・・。でも、子どもができたら辞めると思います。」
「そうだなあ。本当に子どもが欲しいのなら、仕事を辞めて一年くらい身体を休めたほうがいいと思うよ?」
機内で仕事をすることの身体への負担は、当時の私には全くピンとこなかったので、その答えにはいささか疑問を感じた。
「どうしてですか?」
「自分の周りにも奥さんがクルーやってた人がいるんだけれどね、想像以上に身体への負担が大きいらしいんだよ。せっかく妊娠しても流産しちゃったりとか。つまり、空を飛んでいる生活から地上での生活に身体が戻るまでに、一年くらいはかかるらしいんだ。」
実際、結婚してママさんスチュワーデスとして乗務している方もかなりいらっしゃる。でもその一方で、実は表面ではわからないこんな事実もあるのかと、その当時二十歳そこそこの私としてはかなりショッキングな話だった。
(もしかしたら、異姓に対してかなり奥手な私だったからこそ、男性の口から女性の身体の事を聞いてしまったことにショックを受けたのかもしれなかった。)
楽しいことも、苦しそうなことも、「仕事」と名が付く以上は受け入れて乗り越えなくてはならない。そんなことをプロパーたちの話を聞きながら自分なりに理解しようとしていた当時の私だった。
そして、研修最終日。私は大風邪をひいて声がかすれてほとんど出なくなっていた。お世話になった職場の人たちにもきちんとご挨拶をしようと思っていたのに、最後になってこの状態は本当に情けなかった。
いよいよ私が千歳を離れる日。
午後便の東京行きにチェックインをして、搭乗時間までの間、見送りに来てくれた人たちと会う。しかし、声は相変わらず蚊の鳴くような声しか出ない。私が何か言おうとすると、
「もう何も言わなくていい、とにかく訓練までには治しなさい」
「乗務するようになったら顔をみせてね」
と言ってくれる。とにかく一日も早く一人前になることが、お世話になった方達への恩返しになるのかもしれないと思った。言葉にできない分、態度で示さなければ。
そして、搭乗が始まる。
「ありがとうございました。お世話になりました・・・。」
どうにかそれだけ言ってship(飛行機)へ。
いつものようにドア・サイドには搭載の人やランプ・コーディネーターさんが立っていた。今まで一緒に仕事をしていた人たち。
「もう帰っちゃうのかい? 今度会うときはクルーの制服姿だねえ、がんばんなさいよ。」
声が出ない分、深々とお辞儀をして機内へ乗り込んだ。座席は11C、窓側の座席。私は席につくなり、ハンカチを取りだした。自分でもどうしていいのかわからないくらいに後から後から涙が出てくる。この千歳へ赴任したときはこんな状態になるなんて想像もつかなかった。
「ドアモードを換えてください・・・」
アナウンスが流れて、飛行機が動き始める。これでしばらくの間、この空港に来ることもない。滑走が始まるとあっという間に機体が浮き上がり、千歳の町が小さくなっていく。
東京生まれ東京育ちの私に、もう一つの故郷ができたような気がした。
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