◆ 人に見られる職業ゆえの 〜 手の話

仕事先のホテルから空港へ向かうバスの中で、おもむろにショルダーバックから出す物がある。これは恐らく、クルーならほとんど「常備品」として持ち歩いているものだと思う。
それは、「ハンドクリーム」。

お化粧がどんなに上手(?)で、制服を格好良く着こなしていても、
「どうぞ」
と差し出した手がガサガサしていたのでは、お客様に失礼。だから、私たちはだいたい仕事を始める前に、まるでおまじないでもするようにショルダーバックからハンドクリームをとりだし、手のマッサージを始める。(空港が見えてくるあたりからこの動作をする人が多いような気がする)

さて、手がきれいになったところで、マニキュアを塗っていなければお話にならない。
「海外ではマニキュアをしていない手で人前に出るのは、洋服を着ないで人前に出るのと同じ事。国内外で通じるような『身だしなみ』を心掛けるように」
と、訓練所で教育されて乗務し始める。しかし、実際に気を配れるようになるのは、CABIN DUTYができるようになってからである事が多い。何故なら、GALLY DUTYは「優雅な動き」よりも「早さ」を要求されるので、余裕のない新人は身だしなみがおろそかになるのは当然のことといってもいい。(中には例外もあるけれど)

私はマニキュアをする習慣がなかったので、苦労したうちのひとり。まず、制服が濃紺なので「似合う色」はある程度決まってくる。しかし、決して「ショッキングピンク」や「ワインレッド」ではいけない。あくまでも、制服とマッチしているけれど、手だけ際立ってはいけないのだ。本来、マニキュアは手をきれいに見せるための、いわば「手の化粧」なので、私としてはちょっと暗めの色、たとえば先ほどの「ワインレッド」などはいいのではないか、と思う。しかし、訓練所の教官いわく、
「私たちはお食事のサービスもするんですよ?清潔感を第一に考えてください」
つまり、そんな色のマニキュアを付けていたのでは本来見ていただきたい(この場合だったらお食事)ほうへ目が行かなくなる。「個性」が出ては困る、というのだ。確かに、制服を着たその瞬間から、「個人」ではなくて「社員」であることに比重が移る。制服とはそういう役目なのだから仕方がない。(この「制服」に関してはまた別の機会に書こうと思うので、今回は話を先に進める)

そのようなわけで、マニキュアの色は「控えめな色」を選ぶ。が、またここで初心者の私に問題が・・・。それは「きれいに塗れない」。何しろ塗り方をマニュアル通りにしたところで、慣れていないからはみ出たりする。しかも、最初に買ったマット(パールが入っていない)ピンクは塗り終わった時点でムラがでてしまい、これなら何もしないほうがまし、という結果に終わった。

「それならこれがお薦め」
と先輩から薦められたのは、うっすらと赤い透明マニキュア。それだけ見ると変な感じがするけれど、実際に塗ってみるとツメがうっすらと色づいて健康的な印象に。しかも、透明なので多少何かにぶつかって剥がれてしまっても、あまり気にならない。

次に薦められたのはパール入りのもの。
「これは塗るのが下手な人でも、結構ごまかせる」
という先輩のお言葉通り、変なムラはでない。ただ、はみ出さないように注意。

このように、先輩のアドバイスを受けながらマニキュアをするのが苦にならなくなった。とはいうものの、休日にマニキュアをとっていて、仕事当日に慌ててつ塗る、などということもある。

ある日、特別便路線を乗務するので、空港までタクシーで行くことがあった。たいてい「特路」と呼ばれるこの乗務は、ニューヨーク、ロンドンなど、いわゆる「直行便」。業務内容も盛りだくさんなので、この仕事の前日は緊張で熟睡できたためしがない。しかも、仕事の途中(機内)で休みはもらえるけれど、だいたいそんなときは寝られないことが多い。だから、私はタクシーに乗り込むなり、とりあえず寝る体制に入る事にしていた。

その日は運良く会社につくまでに眠ることができた。
「では、ここにサインしてください」
運転手さんの言葉で目が覚めて、ペンを取ろうとした瞬間、
「!?」
手が離れないのである。しびれていたわけではない。単に重ねていた手が取れないのだ。
焦って手元を見ると、何と左右の人さし指同士が重なったままくっついている!
私は思い出した。タクシーに乗り込む10分ほど前にマニキュアを塗ったことを。とりあえず指を引き離してサインをし、車から降りる。恐る恐る指を見てみると、ツメにはくっきりと指紋のあとが;;寝ぼけていた頭はそのおかげですっかり目覚めた。仕方がない、もう一度塗り直しである。

マニキュアが乾いたかどうか見極めるのは今もって自信がないけれど、ただ一つ言えることは、
「マニキュアをすると、手の動きが心なしか優雅になる」
こと。

指先に色が入ると、気持も華やぐし、自然と身だしなみに注意をするようになる。制服を着ていた頃は、「乗務員として人に見られる」事を意識しての半ば強制的なマニキュアだった。でも、仕事を離れた今ではそれを楽しむことができる。しかも、今までのように見られるのではなく、「人に見せるため」に。

飛行機に乗客としてサービスを受けるとき、やはり手元に目がいってしまう。そして、手入れが行き届いたその指に、きれいにマニキュアが塗られているのを見ると、つい嬉しくなってしまう私である。

 

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