◆ とりあえず、ハワイ 〜 初めての海外・その1

私が初めて海外に行ったのは22歳。
国内線乗務をしていて、仕事の上ではすでに「一人前」として扱われていた頃だった。
そんな状況からすると、
「スチュワーデスなのに海外旅行したことがないのですか??」
と思う方はきっと多いと思うので、ここで少し私なりの言い訳をしておきたいと思う。

まず、学生時代。
短大だった事と、あまりにもオーケストラ部の活動に熱心だった私は、そんな「海外旅行」を楽しむ時間的余裕はなかった。入学したその年末には「就職ガイダンス」が始まっていたし、翌年には就職活動。しかも卒論ならぬ「卒業レポート」の提出。余りの忙しさに、何度四大に通う同級生を羨ましく思ったことか。

そして、社会人になって国内線を乗務し始める。
しかし、仕事に慣れ、後輩が入ってくるまではやはり休みを取りにくい。それにいざ旅行、と言っても一緒にできるほど仲のいい友だちとの休みの調整が難しい。それがOLや学生だったりするとなおさら。彼女達が休みのときは、私たちには繁忙期。まず休みをとることはできない。それに、その時期を外したとしても堂々と「有給休暇」を申請することはなんとなく気が引けた(私の気のしすぎかもしれなかったけれど)。そして、何より「どうせ国際線へ移行するのだから」と言う気持が大きく、なかなか「休みをとって海外へ」とまではいかなかった。

とはいうものの、後数ヶ月で移行訓練が始まることを知らされたとき、ここへきておよそ一ヶ月の移行訓練を受けて始めて海外へ出る、というのも少し気後れしてきた。何しろ、国内線の乗務経験はあっても、国際線の仕事になれば新人扱い。恐らく後輩から仕事を教わることだってあるはず。
「もしかして意地悪な後輩がいたら??・・・」
国内線でのグループに比較的恵まれていた私は、そんな最悪の図を考え始めてしまう。そうなると、これからの「不安」は増すばかり。

ならば、せめて国際線だけでもお客様の立場で経験しておけば、少しはその不安も軽くなるのではないか。そんな思いから、訓練に入る前に何とか一度海外へ行ければ、と私は思うようになっていた。

そんなあるとき、同期の一人が、移行訓練が始まる前に以前ホームステイしたことのあるホストファミリーのところへ行く、という。渡りに船、とばかり私は彼女に自分の考えを打ち明けた。

「それじゃあ、ハワイにでも行く?」
海外初心者にとってはうってつけの場所(と言われている)。日本語も通じるだろうし、飛行時間もほどほど(季節風などでその長さはまちまちだけれど、およそ七時間くらい)。さっそく私はその計画に同意した。しかし、条件がついた。
「私はホストファミリーのところへ滞在してからハワイへ行く。」
つまり、彼女はアメリカ本土からハワイへ入り、私は日本から単身で行く。二人が会うのはハワイのホテルで、ということになった。ただし、お互いの休みの都合で、私が一足先にホテルで一泊して彼女を待つ、という日程になった。

「大丈夫よ、ハワイだし。」
そう、確かにいきなりニューヨークというよりは気楽なはずなのだけど・・・。

「まあ、初めての海外を経験するのにはいいんじゃない、ハワイって。」
グループの先輩達に話したところ、いきなり仕事で国際線が初めて、というよりはいいのではないか、と言う。
「ハワイでしょう?だいじょうぶよ」
「そうですよね・・・」
と私も答えるものの、何しろ行ったことのない人間にとってみれば、どんな言葉も今一つ安心する材料にならない。
そんな私を察してか、事あるごとに「海外での心得」を先輩達が伝授してくれるようになった。先輩のほとんどは国際線経験者なので、現場の話を直接聞けるのは有り難い。私は素直にその話しに耳を傾けた。何しろ、いくら文字で情報を収集したところで、実体験を直接聞くことにはかなわない。

「とにかく、人気(ひとけ)のないところへは行かないことね。日本ほど治安のいいところはないんだから、気をつけてね」
「ボーッと歩いちゃだめよ?『こいつは慣れてないな』って言うのが地元の人には一目瞭然なんだから・・・」
「だいたいの目安はね、自分の周りを見回して白人の女性がいるかどうか、かしら。もし見当たらないようなら、直ぐにその場を離れなさい」
etc・・・。

自分たちの実際経験したことを交えて話してくれた。なるほど、と思う反面、先輩達の話を聞きながら、私はますます不安になっていったのも事実。
何しろ私の基準は「日本国内」。それをいきなり「世界基準」で物事を判断しなければならない状況になる。正に、黒船来航、鎖国の時代に終わりを告げる日がやって来るような、そんな大げさな気持になっていった。

そういえば、幼い頃の私たち姉妹に「外国」という単語が出てくる度に、私の親はこんなことを言って脅かしていたことを思いだした。
「人さらいにさらわれて、売りとばされ、樽の上で踊らされる・・・」
という言葉を鵜呑みにしていた。
(それくらい、親の言うことは正しく、絶対的なのものだ、と何の疑いもなく信じていた時期だったのかもしれない。)

親にしてみれば、
「日本ほど安全な国はない」
程度のことを言いたかったのだろう。
それにしてもその「樽の上で踊らされる」という光景は、幼い私たちにはあまりにも安易に想像できた。だからこそおぼろげながら、
「外国は怖いところ」
そんな先入観を無意識に植え付けられていたのかもしれない。今ではとんだお笑い草だけれど。

「ハワイで会おうね」
そのような内容の手紙を私のメールボックスに同期は残し、一足先にアメリカへ旅立った。私の出発はおよそ一週間後。
「とりあえず、ハワイだし・・・」
そう呪文のように呟きつつ、私はハワイへ発つ日を迎えた。

その2に続く・・・

 

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