◆ 海外で聞く日本語

海外へ行くと、本当に日本人がいろいろなところへ「観光で」行っているのだなあ、とつくづく思うことがある。

例えばレストランのメニュー。すでに日本語で用意されていることも珍しくない。しかも店員が、誰からか教わったらしい片言の「日本語」を口にしたりするのだ。

そういえば、スペインのマドリッド市内のレストランでもこんなことがあった。
その時は私を入れて同期三人のプライベートな旅行だった。
到着したその夜はさすがに自分達でお店を吟味する気にもなれず、宿泊しているホテルで紹介されたレストランへ行くことにした。
お店のドアを開けるとウエイターがさっそく、
「イラッシャイ!」
と、怪しいイントネーションの日本語で迎えてくれた。テーブルについて手渡されたのは勿論日本語のメニュー。
「これは失敗かも・・・」
私たちは口々に自分たちでお店を探さなかったことを悔やんだ。というのも、三人ともこの手のお店で美味しいものに当たった試しがなかったから。

メニューを見ると、
「・・・のにんいく風味」
というように、どうも自分たちの聞こえたままを平仮名にあてはめている変な単語が目立った。そしてメニューの最後には、
「サービス料として・・・」
という但し書きも。いかにも日本人観光客相手、というメニュー構成である。
(レストランでチップを払う習慣の無い日本人客に対して、このように別に明記して要求することが多くある。)

店内を改めて見回してみると、日本人客がちらほらといるのがわかった。しかし、どういうわけか人数の割りには声だけがやたらと大きい。彼らのテーブルには、ワインのボトルが置かれていた。そんな人達をなるべく見ないようにしながら、私たちは観念して食事を頼んだ。

料理そのものは多少塩気が多かったけれど、そんなにひどいものではなかった。もっとも、味付けが多少悪くても食べられるようなものしか注文しなかったせいもあるけれど。
「明日もあることだし、そろそろいく?」
おしゃべりもそこそこに、ウエイターさんにチェック(精算)を頼むジェスチャーをすると、少し離れたところから、
「アア、カンジョウネ!」
とひっくり返った声で言われた。

その言葉を聞いた途端、私たちは顔を見合わせた。
「もしかして、聞き違えかもしれないけれど、『勘定』って言ってなかった??」
確かに間違いではないけれど、あのスペイン人の顔立ちから発せられる言葉とはほど遠いだけに、がっくり来たものである。
「私たち、スペインにいるのよね!?」
お互いに確認せずはいられなかったのを覚えている。

それから、パリに行ったときも同じようなことがあった。
モンマルトルの丘にある「テルトル広場」でのこと。

観光客が一度は必ず訪れるこの場所は、芸術家を育てた街としても有名だ。
いらしたことのある方はよくご存知だと思うけれど、あそこにはまさに、「うじゃじゃ」と絵描きさん達がいる。そして、観光客相手に自分の作品を売っていることもあるけれど、どちらかというと似顔絵をその場で描く商売をしている人の方が多いような気がした。

私がそこを訪れたのは陽が少し傾いた・・・といっても夏だったので、夕方といってもかなり明るい、まさに観光客でごった返している時間帯だった。ベレー帽こそかぶってはいないけれど、そこにいる「絵描き」さん達は、必死に自分の目の前を通る人に片っ端から声をかけていた。それはまるで商店街の魚屋か八百屋の呼び込みのよう。声のトーンこそ違うのだけれど、買う気のないお客にとってはうるささ極まりないところで同じような印象を受ける。

私はガイドブックにある風景とはあまりにも雰囲気が違うこの場所に失望しつつ(こんなに人が沢山だとは思わなかった)、一刻も早くこの人込みから逃れようと、かき分けるように歩いていた。途中、フランス語、英語で絵描きさんたちが声をかけてくる。そんな中で、何か聞き覚えのあるような言葉が聞こえてきた。無意識に目がいってしまったのも、日本語があの街並みの中のサウンドとしてあまりにも不釣り合いだったからなのかもしれない。
「アナタ、ニホンジンネ?ワタシ、エウマイデス、キネンニカキマス・・・」
私の視線の先にいたのは、こんな調子で機関銃のように奇妙な日本語をまくしたてるフランス人の絵描きだった。

「いえ、いいです、いりません・・・」
そう言って通常なら速足で歩けば振り切れるのだけれど、その時は違った。
相手はスケッチブック片手で身軽だったこともあるかもしれない。
「アナタキレイ、ワタシカキマス、キネンネ〜!」
人込みをかき分けながらついてくる。
余りのしつこさに半分根負けして、立ち止まった。
「いくらなんですか!?」
と聞くと、日本円に換算して五千円近い値段。私は思わず、
「高い!」
と言うと、
「タカクナイヨ!」
と相手も負けていない。
「お金がないからだめ、いらない!」
こちらの日本語もおかしくなってくる。もともと描いて欲しいわけではなかったので、こちらも強気に出ることにした。しかし、あちらも商売。狙った獲物からは何とかお金を取るのに必死である。すると、
「オカネナイ?モンダイナイネ・・・」
お金がなくて問題がない?
口調が急に柔らかくなり、全くわけのわからないことを言いだした。
「ダイジョブ、ビンボープライス!
彼の顔はいたって真面目である。
「お金はないからって、あなたにビンボーなんて言われる筋合いはないんだから!」
と心の中では思っても、情けないことに口にする勇気はなかった。
とにかく私はすっかり気分を悪くして再び歩き始めた。
絵描きはそれでもしつこく話しかけてくる。
「だから、私はいらないの!」
「ドーシテ?ビンボープライス!
今度は何も言わずに、人込みもまばらになってきたのを見計らって猛ダッシュした。さすがにこれは相手の意表をついたらしい。しかし、私の背中では、
ビンボープライス〜!
という絵描きの奇妙な日本語がしばらく聞こえていた。

こんな話も結局は観光地ならでは、か。

海外のスーパーでおにぎりをみかけたり、看板に摩訶不思議な日本語を見ると、何のために日本を離れたのかわからなくなることがある。

海外で休日を過ごしたくなるのは一種の「現実逃避」に近いものがあるからかもしれない。現実から離れている錯覚に陥るのは、やはり言葉によるところが大きい。少なくとも母国語が聞こえないところでは、誰からも干渉されない状態を約束されているようで、少なからずホッとする。しかし、そんな逃避している先で日本語に出くわすと、何のために飛行機に乗ってはるばる海外へ出たのかわからない気分になる。しかも、せっかくの「雰囲気」をことごとく壊すのは同郷のツアー客だったりすることがあるからたまらない。

ベネチアのレストランで食事をしていた時も、どこからともなく「東京音頭」が聞こえてきてびっくりした。ほろ酔い気分の日本人ツアー客が、何を思ったか大合唱しながらあのおしゃれな通りを練り歩いていたのである。

このようなこともあるので、私はなるべくプライベートで海外へ行くときは、日本人がいたとしても少ないところを調べることにしている。しかしせっかく、
「ここはいい!」
と目をつけていても、雑誌などがさっさと特集を組んでしまい、あっという間に日本人の訪れる数は急増、という悲しい結果になることは多い。

現役時代、パリ市内のとても有名なレストランで食事をしたことがあった。決して媚びることのない店員の態度には目を見張るものがあったのを覚えている。受け答えはすべてフランス語。勿論日本語のメニューがあるわけでもなく、英語のメニューもこちらから申し出ないと出してもらえない始末だった。(このときはにフランス語をたしなんでいる先輩のおかげで事無きを得たけれど)
「日本人だと思ってばかにされてる;;」
とフランス語ができない私を含めた数人は皆むっとしたものだ。しかし、
「あれくらいの強気の態度は必要かな」
とも思う。そうでもしなければ、お店の格式等をきちんと守っていけないくらい、観光客(一見さん)のマナーは良くないものなのかもしれなかった。そして、訪れた土地の言葉くらい多少わかっていなくては逆に失礼だ、と言われたような気がして反省したものだ。

そのようなことを経験してしまうとなおさら、海外で中途半端な日本語を使って観光客に媚びるがごとく接客されると、やはり私は何とも言えない気分になり、
「いっそのこと全く日本語を話してくれないほうがいい」
と思ってしまう。繰り返すようだけれど、海外にせっかく来ているのだから、
「異国にいる雰囲気を少しでも味わいたい、現実から離れた所にいたい」
と思うのが人情というものだろう、と思うのだけれど。

さて、皆さんはどうお感じになるだろうか。

 

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