◆ ロンドンで 〜 英国人気質?

私が直行便で初めてロンドンを訪れたのは国内線から移行してきて半年もたたない頃だった。

今ではほとんど毎日ヨーロッパ線の直行便は出ているけれども、
私が国際線を乗務し始めたときはまだ北廻り(アラスカのアンカレッジ経由のヨーロッパ線)が残っていた。
直行便ともなると、飛行時間が長い分サービス内容も違ってくる。しかも初めて訪れる国となると、緊張の度合いは普通以上である。

その時フライトを一緒にしたのは寄せ集め、つまりいろいろなグループの客室乗務員からなる編成だった。
なんとか仕事も先輩達に迷惑をかけないで無事終了。ロンドンに着いた。到着したのは夕方。ホテルに着くころにはオレンジ色の街灯が優しくともり始めていた。寄せ集めの編成ということもあり、特に食事の約束などはしないで部屋に入る。窓からはあの「ハロッズ」の建物が小さく、けれどもその形通りにライトアップされていた。
「ロンドンに来たんだ」
緊張がとけてきたのか、ようやくそんな気持ちになってきた。

翌日、朝食を済ませてさっそく外へ出た。
ガイドブック等の写真そのままに、古い建物がひしめいている。しかし、不思議と圧迫感というよりは安心感のある街だった。それはおそらく緑が多いこと、そして街そのものに「歴史」があるからなのだろう。

歴史のある国日本で生まれ育ったせいか、アメリカを訪れた時よりも気持ちは落着く。しかしその一方で、よそ者を決して受け入れない頑固さが感じられる。お店ひとつ取ってみても、格式のあるお店は特に、その内装には「こだわり」がみられ、店員の接客のしかたには「誇り」を感じる。お客様だからと言って「媚びる」様な態度は決してない。それに対して、アメリカには「アメリカン・ドリーム」といわれるように、実力があれば誰でも受け入れられる、オープンな雰囲気がある。(私も住んだことがないので、いずれも一訪問者の印象であるが)

さて、ガイドブックで予習した通りに地下鉄に乗って中心街へ。お決まりの「フォートナム・アンド・メイソン」で紅茶などを買ってぶらぶらとウィンドウ・ショッピングを楽しむ。恥ずかしい話だが、その頃まだ私はクレジットカードなるものを持っていなかった。だから、「買物」を楽しむというよりは街の雰囲気に浸るほうに楽しみを見いだしていた。
名物の二階建てバスや、きれいにディスプレイされたウインドウを見ながらメインストリートを歩いていると不意に肩を叩かれた。びっくりして振り向くと、セミ同期(同じ時期に訓練を受けていた)だった。彼女はグループの先輩と一緒だったが、
「今日の夕食は約束してる?もししていないのなら一緒に食べない?」
と誘ってくれた。
私も夕食を一人でとるのは淋しかったので、喜んでO.Kし、時間と待ち合わせ場所をきめて、その場は別れた。
それから、飽きることもなく街を散策し、あっという間に約束の時間がやってきた。

待ち合わせの場所へは時間通りに着いた。
「あまりいいお店を知らないから和食でいいかな?」
セミ同期の先輩の提案で、あるホテルの和食屋さんへ行くことになった。ある有名なホテルにはいっているお店なので、値段は高めだったけれど、仕事の話や、雑談などをしながら楽しく食事ができた。さて、そろそろお会計をしてもらおうと、いつもの通り、
「チェックをお願いします。」
と日本人男性の店員の方に声をかけた。
すると、しばらくしてその店員がやってきて
「イギリスでは『チェック(check)』ではなくて『ビル(bill)』といいます。」といいながら請求書をテーブルに置いた。
その態度が鼻持ちならないものだったので、
私たちは目を見合わせた。
「そんなこと、知ってますって!」
どの目からもそんな言葉が聞こえた。

同じ「英語」といっても、ここはイギリス。それを基準とするのならば、アメリカ人が話すのは「米語」である。
中学の英語の教科書でも、そのことは教材として取り上げられていた。
たとえば、地下鉄を「subway」というが、イギリスでは「tube」、
特にロンドンの地下鉄をさして使う、というところがあった。そこでは、それを聞いたアメリカ人が
「イギリスでは、tube(管)で移動するの??」
と誤解をする、と言うようなジョークが紹介されていたほどである。
(注:"the underground" はイギリス英語で「地下鉄」の意味もある。ちなみにヨーロッパやアメリカなどでよくみかける"M"は地下鉄を表す"Metro"の頭文字からきているらしい。)

さて、話を戻そう。
いわゆる日本人の「小娘」がホテルの和食屋さんで夕食を取るなんて、生意気に思われたのかもしれなかった。しかし、明らかにお客を見下げた様な態度には、さすがにカチンときた。もっといい方をわきまえるべきである。

お店を出て、なんとなく嫌な雰囲気のままタクシーを止めて乗り込んだ。運転手は白い髭をたくわえた、ちょっと気難しそうなイギリス人だった。行く先のホテルの名前をいうと、
「それじゃあわからない」
という。つまり、発音が正しくないので通じない、と言うのだ。
仕方がないのでスペルをいうと、
「ああ、そのホテルなら・・・」
と言って発音してくれた。
私たちの英語は「米語」の発音なのでわからなかったらしい。
いや、わからないような振りをしていたのだろう。その証拠に私たちが乗り込んでからそのタクシーは行く先を聞いてすぐに走り出し、その後も方向を変えることがなかったのだから。揚げ句の果てに、ホテルに着くまでの間、車内は「正しい英語の発音教室」と化してしまった。
ホテルが見えてくると、私たちは少し「英語」らしく聞こえるようにその名前を発音した。
それを聞いて、ようやく運転手も
「Good・・・」(「Good!」と言わないところがミソである)
と言って運賃を請求した。
「これが英国人気質?」
と半ば呆れつつも、すっかり相手のペースに巻き込まれてしまった自分たちがひどく滑稽に思えた。からかうにはいいカモにされたのかもしれないが、裏返せば、「自分の国の言葉を正しく発音してほしい」と言う、実はごく当たり前の感情なのかもしれなかった。母国語といってもピンと来ないままに島国で生活していると「言葉」そのものの大切さをすっかり忘れがちである。海外に行く意義のひとつに「母国語を意識する」と言う項目をあげてもいいような気がした。

それにしても、なんだかすっきりしないのは、先ほどの和食屋さんの店員だ。相手がイギリス人なら、
「しかたがないな、教えてくれたのかな」
という気持ちにもなる。しかし、同じ日本人に、
「これがイギリスの言い方なんです」
などと偉そうに言われたくはなかった。確かに、外国で生活していくのはとても大変なのだろうし、それは私なんかには想像も出来ないほどのことに違いない。だからといって、イギリス人になったわけでもあるまいし。もしかしたら、あのタクシーの運転手が私たちにしたように「英語」をたたき込まれたのかもしれないが、それをそのまま同じ日本人にするという行為はいかがなものか。見習うのなら、もっと「イギリス紳士的」なところを見習うべきなのではないか。いや、逆に「これが日本人なのです」と胸を張って生活することが国際人として通用していくひとつの術ではないのだろうか。

などと思いつつ、反面教師として今回の経験はありがたく今後に生かすことにした。

 

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