◆ 結婚願望

ミールサービスが終わると、ギャレーにもようやくホッと一息つける時間がやって来る。それまでの戦争のような慌ただしさが嘘のようにキャビンも落ち着きを取り戻している。

「では順番にお食事をいただきましょうか」
インチャージを取っている上司の声で先輩から食事をとり始める。主だったサービスが終わったとはいえ、キャビンやお手洗いをウォッチしたり、次のサービスの下準備をしたりといった細々とした人手はいるので、一度に二人くらいずつしか食事ができない。

グループフライトを離れてしまうと、一つのフライトを編成している顔ぶれが全く同じということは皆無といえる。つまり、初対面の人と食事を取らなければならない場面が多くなる。以前寄せ集めのフライトで仕事をしたことがある人ならば、何となく様子がわかっているので話題にも困ることはない。けれども、全くの初対面で、しかも相手が先輩となると話は別である。だんまりを決め込んで食事をするわけにもいかないので、あれやこれやと当たり障りのない話をし始める。仕事の話、到着地の話、芸能ネタ・・・、とにかくお互いのプライベートな部分には直接触れないようにするのが一つのエチケットともいえる。(クルーが芸能ネタに強い理由の一つとしてこういった場面で情報交換をしていることもあげられるのかもしれない)

あるとき、お客様が少ないこともあって食事を三人でとることになった。ベテランのアシスタントパーサー(数年のうちにはパーサーに昇格してもおかしくないような乗務経験あり)と私(当時アシスタントパーサー2年目くらい)、それからスチュワーデス(乗務歴は2年くらい)で横並びに座ってクルーミールを食べ始めた。

最初はお約束通り当たり障りのない話題をしていたのだけれど、何かの拍子で恋愛の話になった。
「なかなか時間が合わないわよね・・・」
と言うような話の展開からその先輩が、
「あなたは彼氏は?」
と後輩スチュワーデスにふった。すると、
「あ、私結婚してるんですぅ」
先輩の視線がすかさず彼女の左手の薬指に移っていくのがわかった。と同時に今までの声のトーンがいくぶん下がり気味になり、
「あら、そうなの・・・・もしかしてあなたも結婚間近なんじゃないの??」
と今度は矛先が私の方に変わった。
「い、いえ、私はそんなのはないです・・・」
何も私が焦って否定することではなかったのだけれど、先輩のあまりの冷ややかな視線にしどろもどろになってしまう。
「あら、そうなの?」
私の返事にようやくその先輩のトーンは普通に戻った。それからの仕事は何の支障もなく終わったものの、心なしか既婚者である後輩に対する先輩の態度が冷たくなっていたような気がする。

未婚の先輩の反応がみんなこのようなわけではないし、むしろこの例は極端な部類に入る。しかし、この状態が表わすとうり、相手が既婚者であるかどうかということは会話を進めていく上で結構デリケートなことなのだ。

欧米などでは、相手の女性が何歳か、結婚をしているのか、子どもはいるのか、と言ったプライベ−トな事を面と向かって聞く事はタブーである。しかし、日本ではそれが当たり前のように(場合によってはそれらを聞かなければ話が進まない)初対面の人でも聞いてくる場面が多い。例えば目上の方とお話すると、歳を聞かないまでも、
「ご結婚は?」
とやんわりと聞いてくる。二十代も半ばを過ぎるとその話題が社交辞令であるかのように。そして、
「いえまだです」
と答えると、
「お仕事がお忙しいのはわかるけれど、やはり結婚はなさったほうがいいわ。」
もっとおせっかいになると、
「私、いい方を頼まれていますの。よろしかったら今度会うだけでも、ね?」
となる。逆に、
「はい、(結婚)しています」
と答えると今度はすかさず、
「お子さんは?」
と聞かれる。これで子どもがいれば嫌みを言われなくてすむのだが、
「いない」
と答えると、
「やはり子どもはいたほうがよろしいわよ・・・」
と、お説教路線まっしぐらの会話になっていくのだ。

普段からそういった風潮のなかで生活している仕事を持った女性は、知らず知らずのうちに、
「このくらいの年齢で結婚していないと恥ずかしい」
というような観念めいたものを当たり前であるかのように植え付けらえてしまうようだ。実際、私もこうした場面では自分という人間である以前に、「適齢期の女性」としての顔を見られがちで、大変窮屈に感じたものだった。そして、いつもそこから何とかして逃れたいような衝動に駆られていた。

つまり、先ほどの先輩が後輩に対して急に態度が冷ややかになったのも、恐らくこのような状態ではなかったかと予想できる。親には、結婚はまだかと言われ、第三者からは好奇の目で見られ、揚げ句の果てに既婚の後輩に先を越されたような錯覚に陥る。そして身近にはいい意味でも悪い意味でも結婚することなく定年を迎えつつある女性の先輩の姿を目の当たりにしているのだから、ますます「結婚願望」がつのってもおかしくない。冷静に考えれば「世間体に対する焦り」でしかないのだけれど。

しかしその一方で、ようやくその願望をかなえた人達がいつの間にか旧姓に戻っていることも少なくない事実もある。そしてそういう経験をした人は、以前のような既婚者に対しての冷たい態度は決してとらない。うまく表現できないけれど、ある種の自信がみなぎっていることが多く、物事に対しても浮かれた感じがない。彼女達の一人はいう。
「一度しかない人生なのだから、納得した人生を送りたいのよ。」

昔の日本だったら想像もできないような事・・・女性が自分で人生を切り開いていくこと、がごく当たり前のように口にできるようになった。果たしてこのことを「頼もしさ」と見るか「愚かさ」と見るか。それを考えるとき、「女性である以前に人間である」という最も根本的なことにようやく気づくきっかけになるのかもしれない。

 

エッセイのメニューに戻る