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◆モスクワにて 〜 灰色の瞳
モスクワは秋を迎えたばかりだというのに、外出時にはコートが手放せないような気温だった。ホテル内の温度は必ずしも一定ではなく、最も寒さを感じるのは吹き抜けのロビーだった。
ここモスクワを訪れる回数が増え、日照時間が短くなっていくのを肌で感じられるくらいになると、
「とにかく冬が来ないうちになるべく外に出ておきたい」
と思うようになった。
私が初めてここに降り立った2月下旬の気候から想像してみても、真冬の寒さはかなり厳しいはずだったし、そうなると必然的にホテルで過ごす時間が増え、ストレスもたまっていくことは目に見えていた。しかも、モスクワ線を担当している1年間は、経験のある先輩からいわせると、
「自分の人生について考えるとき」
なのだそうだ。
下手をすればひと月の三分の一余りはモスクワに滞在するというスケジュールが一年は続く。その滞在している時期も冬になると外に出る機会がほとんど無くなる上にホテルの部屋に閉じこもりがちになる。読書だけでは飽き足らず、今までできなかった写真などをこの機会に整理して過ごすようになるのだそうだ。そして、
「ふと自分のこれまでのことや、これからのことをつい真剣に考えてしまう」
という。
「あのホテルの暗い部屋に一人でいると、どうしようもなく暗くなるのよねえ」
その話を聞いたとき、
「またまた大げさな・・・」
と思ったものだが、実際自分に乗務する機会が与えられると、その心情は決して大げさではないことがわかった。市内の建物が石造りであることに加えて、特にどんよりと曇った日は、空から空気を押し付けられているような重苦しい感じにすらなる。日照時間の長いはずの夏も長くは続かない。しかし、せっかくの滞在。これから先、ましてやプライベートで訪れるということはおそらくあり得ない所である。それならなおさら、この足で街を歩いておきたい。それはちょっとした暇つぶしどころか、私の好奇心を満足させてくれるはずだった。どうせ気持ちが暗くなることがわかっているのなら、少しでもその時間を短くしたい。
同じグループの先輩とそんな考え方で意気投合し、ロビーで待ちあわせてホテル近くを散策することにした。約束の時間よりも少し早めにきていた私は、ソファーに座ってロビーを見渡していた。
このホテルは外国人が泊まるホテルなので、玄関にある回転扉には常にホテルのセキュリティーらしき人が何人か立っていた(当時、外国人が泊まるホテルは指定されていた)。そして、ホテルに入って来る人に関しては部屋の鍵の提示を求めたり、外国人でない場合は何か質問をしたりしていた。こちらから見る限りにおいては外部からの侵入者に対して、非常に厳しく監視の目が行き届いている様な印象を受けた。
「さすがソ連だわ・・・。」
感心しながら人の出入りのある方を見ていた。日本のホテルのロビーと言われるところの三倍の広さはあるだろう。そこにはロシア人の姿も見受けられたが、客としてそこに立っているその人達は明らかにロシアの上流階級を思わせるような雰囲気だった。
そんな中、このロビーにはふさわしくない「お客様」が歩いているのが目に留まった。小学校低学年といった感じの白人の男の子が一人で大人にまとわりつくようにして歩いている。しかも、その大人の方はその子の親でもなく、ましてや知り合いでもない風だった。二言三言話しかけてみるものの、誰からも相手にされていない様子のその少年は、何とも不思議な感じがした。
「迷子にでもなったのかしら・・・?」
そう思いながらその様子を私は見ていたら、私の視線を感じたのかその子がこちら目掛けて駈けてきた。
かなり気まずい感じがしたが、ここで席を立っては何か卑怯者になってしまうような気がして、ぐっとこらえてその場に留まった。
帽子をかぶってちょっとおしゃれをしているようなその子は、この場の雰囲気とはそぐわないような気がした。何故ならその帽子と着ている服は、よく見るとかなりの「お古」のようだったし、その子の顔立ちはあきらかに「ロシア人」ではあったが、どこか「品」がなかったからだ。
「どこから見ても東洋人の私に彼は一体何を言いにきたのだろう?」
すっかり日本人の看板を背負ってしまっている私は、とにかく毅然とした態度をとることにした。ちょっと緊張した雰囲気を察したのか、静かにその少年は私の隣に腰を下ろした。
透き通るような白い肌、と言うのはおそらくこういうのを言うのだろう。
数秒もなかったと思うが、そのお人形さんのような顔立ちにみとれてしまった。
すると彼はのぞき込むようにその灰色の瞳を私に向けてきた。
こんな子ども相手に緊張してしまう自分に動揺しつつ、なおかつそれを悟られまいとなんとか気を取り直した。当然、外見では私が大人であったが、気持ちの上では明らかに「大人と子ども」の関係は逆転していた。完全にその「気迫」に負けてしまっていたのだ。
「ここで目をそらしたら負けてしまう」
私は平静さを保とうと必死だった。その心中を察したように、天使のような微笑みを投げ掛けながらついに彼の口が開いた。それはたどたどしい英語だった。
「ガム、もってない?」
私は耳を疑った。
「キャンディーでもいいんだけど」
それを聞いて私の緊張はすっかりなくなった。やはり子どもは子どもである。
「ごめんね、ガムもキャンディーも持ってないのよ」
すると今度は、
「じゃあ、マルボロは?」
と聞いてくる。子どもがタバコですって?いったいなんなの??
「マルボロも私は持ってないの」
自分の口調がきつくなっていくのがわかる。しかし、彼は一向に引き下がらない。
「じゃあさあ、これ、買わない?」
そう言っていきなり彼は上着のボタンを外して前を開き、片側の内ポケットを見せるようにして私の目の前に立った。
「一個1ドルでいいよ」
そう言って見せたのはピンバッチだった。まるで勲章のようにずらっと付けてある。よく見ると「レーニン」「CCCP」などのロゴの入ったものや、戦闘機をかたどったものなどもある。
今まで天使に思えていたその顔が一瞬にして変貌した。それはまるで化けの皮がはがれた悪徳商人が前に立ちはだかり、「通せんぼ」をしているような感じだった。
私は一瞬あっけにとられた。ちょっと大げさに、
「そんなのいらない」
と私が答えると、
「ボールペンだってあるよ?」
と言う。これは変に仏心を出すとたいへんなことになりそうだったので、
「私は買わないわよ?」
とさらに口調を強くして言った。
すると、東洋人相手には商売は成り立たないと察したのか、残念そうな顔をしてロシア語で何かを言いながら立ち去っていった。
ついさっきまで子供相手に動揺していた自分が情けないやらおかしいやら。
「きれいなものの前では大人も子どももないのだ」
などと苦し紛れの言い訳を私は自分自身にしていた。
それにしても、あんな小さい子どもが外貨欲しさに「商売」をしていることは少なからずショックだった。しかも厳重なはずのセキュリティーも何のその、簡単に擦り抜けてしまうとは。先ほどまでのこの国に対する感心した気持ちは何処へやら。私は一気にがっかりしてしまった。
当時のソ連はゴルバチョフ政権の打ち出した「ペレストロイカ(これは『建て直し・再編成』という意味だが、この場合は『経済的な建て直し』という意味で使われていた)」と、「グラスノスチ(情報公開)」が進められていた。欧米諸国からは歓迎された民主主義への道だったが、国内での支持率は今ひとつのようだった。私たちが滞在している間の支払いも現地のお金(ルーブル)よりも外貨、とくに米ドルを要求されることが多かった。
先ほどの少年もおそらく親からいわれて外貨集めに走り回っているのに違いない。
この国が抱えている影の部分を垣間見たような気がした。
少しして、先輩がロビーに姿を見せた。私は先ほどの少年の話をした。
「へえ、そんな小さい子どもがねえ・・・」
笑いながらその先輩も半ばあきれたようであった。
「では、でかけましょうか。取りあえず、どんなお店があるか、探検!」
私たちはガイドブックを手にホテルの玄関へむかった。
先ほどの少年の姿はいつのまにかロビーからなくなり、それ以来見かけることはなかった。
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