|
◆
モスクワにて 〜 憩いの場
「行列を見つけたらとりあえず並んでみること」
モスクワ線を乗務していたとき(1989年当初)、こんな言葉が私の頭の何処かに常にあった。これは誰かから聞いたものなのか、あるいは読んだものなのか、全く覚えていない。ただ、その理由は次のようなことだったと思う。
「とにかくあらゆる品物が手に入りにくいソ連(現「ロシア」)では、何かが屋外で売られていることは稀である。行列を見つけたら、とにかく並んでみること。そして、何か手に入れられればラッキーだし、品切れであればそれは仕方のないこと。お金を出して何か手に入れられればそれだけでしめたものだ」
戦時中の品不足を思わせるような話だけれど、滞在の回数を重ねるごとに、
「確かにそうかもしれない」
と思うようになった。
実際チップとして請求されるのは、お金より物の方多い。(特に当時はタバコをよくチップ代わりにしていた)それに、
「モスクワ最大の百貨店」
とガイドブックで紹介されていた「グム百貨店」を訪れたときも、
「これは百貨店ではなくて十貨店じゃない?」
と冗談になるくらい、スペースはあるものの品物がなかった。(正確には閉鎖されているお店が多かった)
ただその一方で、ペレストロイカの影響か、目抜き通りに面したお店はきれいに改装され、そのウィンドウにはブランド物の洋服を着たマネキンがディスプレイされていたりした。
そんな様子を見ると、私たちの「?」は深まるばかり。所詮私たちはツーリスト。その疑問は解決されることはない。
さて、ある夏の日、私は先輩たち三人と外出することになった。
「アレクサンドロフスキー公園」
本に載っていたクレムリンの西側の城壁沿いにあるその公園は、いわゆる「市民の憩いの場」として紹介されていた。
「市民の憩いの場」、何といい響きだろう!
モスクワ線を乗務し始めて三ヶ月あまり、ホテルに閉じこもっていることが多かった私たちは、なんだか一般市民から隔離されているような錯覚に陥っていた。何しろ、外国人の滞在ができるホテルは限られていたし、ロシア語はわからない。勿論、テレビはあってもCNNが入るわけでもない、まして部屋によってはテレビは単なるディスプレイの役割しかしていない場合もあった。日本を離れる前日は食料を買い出しに行き、滞在中はそれで食事をする毎日。時には一週間近くの滞在になることもあった。とにかく、外の空気、当たり前の休日の雰囲気を無意識のうちに求めていた。
「赤の広場」からクレムリンの城壁に沿ってどれくらい歩いただろうか。その城壁の高さが尋常ではないだけに、実際に歩いた距離よりも長く感じた。(ガイドブックによると、その高さは五メートルから十九メートル)
そしてようやく辿り着いた公園は、まさに何の変哲もないところだった。お決まりの、ベンチ、噴水、そして、ブロンズ像。緑が多く、子連れの家族も多い。休日のせいだったからだろうか。
ただ暗いホテルの部屋では十分に太陽の日差しを浴びられないため、こうした広いところで散歩をするのはとても贅沢な事のように私たちは感じていた。
どこにでもある風景、そこに憩う人たち。そうそう、こういう所を探していたのだ。
とそんな中、私たちは例の「行列」を発見した。
「どうします?並んでみます?」
「こんな機会はめったにないから、トライする価値はあるでしょう」
躊躇している先輩達に私は「列に並ぶことの大切さ」を一丁前に説いた。何しろ、またとない機会。どうしても並んでみたい。
「こうしている間に人の数が増えてるような気がしませんか?」
何しろ家族づれが多いものだから、ぼやぼやしていると、あっという間に列は長くなっていく。
「とにかく、並びましょう」
ちょっとした競争心をかきたてられたある先輩の一人の声で、私たちは列に加わった。
(全体的にクルーの競争心は強い)
ようやく並んでみたものの、この列の先端で何が起こっているのかがわからない。何か売っているのだろうけれど。そして、それがいくらで、ましてや私たちのところまで品物が行き渡るのかどうかすら見当も付かない。まさに、
「何か手に入れられればラッキー」
の状態。
私たちは回りがロシア人ばかりである事をいいことに、心置きなく日本語で会話をしていた。まさかこの憩いの場に日本語がわかる人はいないだろう。見るかぎり東洋人は私たちだけだし。
「一体何を売っているんだと思います?」
「食べ物かな?ピロシキ、とか?」
「公園だからおそらくその確率は高いよね」
ふと自分たちの後ろを振り返るとまだまだ人は並び続けている。
「少しの迷いで明暗を分けるって感じね」
「私たちの番まできますかね・・・」
「でも、ちょうど私たちの分で品物がなくなったらどうする?」
「それ、ちょっと怖いですよね」
なにしろ、「市民の憩いの場」で外国人が市民のものを横取りした、と受け取られかねない。もしかして、袋だたきにあう?新聞とかに載っちゃったりして??
列が長い分、私たちの話は膨らむ一方。
「どうします?KGBとかに連行されちゃったりしたら?」
「直ぐそこがクレムリンだもの、簡単に連れて行かれちゃうわよ・・・」
「そのまま日本に帰れなかったら?」
冗談だけれど、みんな読書好きときているので変な想像は収拾がつかなくなってきている。
そうこうしているうちに、その品物が「アイスクリーム」である事が判明した。
「暑いから、食べたいよね・・・どんな味のがあるのかな?」
「この際だから、あまり贅沢を言ってはいけません。食べられるだけ有り難いと思わなくては」
「ところで、値段、いくらなんでしょうか?こまかいの持ってます?」
みんな一斉に財布の中身をチェック。
「うん、大丈夫。まとめて払っちゃえばいいか・・・」
そして、列の先端まであと少しというところまできた。
「あ、段ボール箱に入ってますね、ここまで足りるかな・・・」
「何だか、微妙な数ですね」
残っている段ボールは一つ。しかも、何個入っているかわからない。
「とりあえず、袋だたきになる前にお金を払ったらダッシュしたほうがいい?」
もう私たちの想像は誰にも止められない。
ついに列の先頭に。私たちは四人。残る段ボールに入っているアイクリームは六個。私たちの後ろの家族は四人連れ。そのお父さんはやたら体格がよかった。さっさとお金を払って、やはりダッシュか?
「四つ・・・・いくら?これで足りる?」
先輩の一人が交渉している。私たちはバトンを渡されるのを待つリレー走者の気分。
と、その時、新たにアイスクリームの入った箱がいくつか運ばれてきた。
「よかった;;」
お金を払い終えた先輩をはじめ、私たちはホッと一息。それぞれアイスクリームを手に顔を見合わせた。
アイスクリームはシンプルなバニラ味。
「おいしい;;」
自分たちで勝手にドキドキしていたせいか、その甘さは、妙にほっとするものだった。そして確かに美味しい。
「何だか今日はこれですごく満足・・・」
アイスクリームを食べながらしばらく公園を散歩した私たちはまたホテルへ戻っていった。
モスクワの夏は短い。日が傾けばすっと風が変わる。
後何回くらい街中を散策できるだろうか。
これからやって来るであろう長く厳しい冬を思うと、またホテルの部屋が重苦しく感じられた。
|