◆ シングル・パターン(一人旅)〜 その3

列の進み具合はゆっくりとしていた。あまりキョロキョロしていても挙動不審と思われる恐れがあったので、私は目の前にある大きなビジネスマンの背中を見つめていた。

後三人くらいで私の番、というときになってやっとその様子がわかった。乗客のチェックインした荷物を、本人に確認させた後に飛行機へ積み込んでいるのだ。

もしも搭乗旅客のものでない荷物がチェックインされていたことがここでわかると、二つの可能性が出てくる。

まず、「荷物が誤って持ち主である旅客と違う便にチェックインされてしまった」という可能性。自分は到着地に着いたのに荷物だけ出てこない。調べてもらったらとんでもないところへ荷物だけ旅していたという、このようなトラブルは、国際線ではよく聞く。荷物を積み込む前にそのことがわかれば、ある程度この手のトラブルは防げる、もしくは対処が早ければ問題が早く解決することになるだろう。

そして、二番目は「危険物の搭載」の可能性。いわゆる「テロ」の危険性。もし、その荷物に爆弾などの危険物が入っていてそのまま離陸した場合、最悪のケースが起こることは簡単に予想がつく。だから、旅客と荷物の数を職員の目の前で一致させることで、それを防ごうとしているのだろう。

ただ、これは飛行機そのものが小さいからこそ、搭乗時に毎回行われてもそんなに時間のかからない方法だといえるのだけれど。(この荷物の件に関しては書く航空会社、空港でそれぞれの対策が練られ、実行されている)

さて、私の番が来た。前の人たちがしていたように、自分のチェックインした荷物を確認して、「これです」と指さすと、無愛想に職員が飛行機に搭載するコンテナーに私の荷物を放り込んだ。やれやれ、これでようやく搭乗できる。

さっそくタラップを登ると、体格のよい女性の客室乗務員が出迎えてくれた。挨拶をしながら飛行機に乗り込む。すると一つの通路をはさんで三席ずつのこじんまりとした客室。搭乗券には、「C(エクゼクティブ・クラス)」と印字してあったけれど、そのようなシートは見当たらない。前から五列目の右の窓側、それが私の座席だった。

席について外を見ると、相変わらずどんよりと曇ってる。
「きっと揺れるんだろうなあ;;」
そう思いながら、シートポケットに入っているものを確認した。ディスポーザルバック(いわゆる「吐袋」といわれているもの)、イヤホン、非常口や救命胴衣の説明の冊子、メニュー、そして機内誌。

「やはり同じものが入っているんだ・・・」
自分の乗務している飛行機と比較しつつ、あたりを見回す。
「ザ、ザ、ザーッ」
その音のする方向へ目をやると、滑りの悪そうなカーテンを閉めているところだった。後ろの席(Yクラス)との仕切をつくったのだろう。すると、ウェルカム・ドリンクのサービスが始まった。やはりここは「C(エクゼクティブ・クラス)」だったのだ。つまり、Yクラスにはこのサービスはないので、そう思わざるを得なかったわけだけれど。

目の前に差し出されたトレイの中からジュースを選ぶ。下戸の私がこんなところで恰好をつけて気分でも悪くなったら、それこそ笑いものである。新聞もワゴンに乗せてサービスをしていたけれど、私に読めるようなものはなかった。隣に座っている、いかにも欧州人らしい顔立ちの初老の男性はオランダの新聞を手に取って読み始めた。

ドアモードを変えるアナウンスの後に、チーフパーサーの挨拶とフライトプランの説明、そして、非常口の説明があった。やはり航空会社のサービスの流れが、いつも自分が制服を着てしていることと何ら変わらないということがわかってくると、まずは一安心。勉強していたそのままがテストで出たのと同じこと。これからのサービスの段取りが把握できていれば慌てなくてすむ。ただ違うのは飛行機の機種とサービスしているのが日本人ではないということだけ。それだけなのだから。

飛行機が水平飛行に入るまではさほど時間はかからなかった。しかし、まだ機体が傾いている状態で、リカーサービスは始まっていた。地上から見上げていたどんよりと曇った空は、その中に入ってみると思いの外分厚く、そのせいか、私たちの飛行機はガタガタと揺れ、ときには機体が大きく沈んだりした。それでも、客室乗務員達は勇ましくサービスを始めた。

およそ一時間二十分程度の飛行で国際線のサービス、飲み物、食事、機内セールスに至るまでをその時間内で終わらせ、なおかつ到着時のあらゆる安全性を考えると、多少の揺れだろうと傾きだろうと構ってはいられないのだろう。もし、同じ状態でのサービスを私たち日本人がすれば、恐らくお客様が危なっかしくて見ていられない場面があるに違いないけれど、彼女達(男性の乗務員もいたけれど)はその体格からか、そういった見る側を不安にさせることはなかった。

何とか機体も安定してきてたので外を見ると、その真下には、果てしなく陸地が広がっている。所々に森のような緑と、住宅地が箱庭のように見える。

しかし、そんな風景とは関係なく、機内は戦場のようだった。リカーサービスのあと、前菜やメインディッシュのセットされたトレイが機械的に配られ、それを私たちは慌ただしく口に運んだ。そうするようにいわれたわけでもないのに、乗務員の無意識にも、
「時間がないのよ〜!早く早く〜!」
という雰囲気が私たち旅客をせき立てていたのかもしれない。
ただでさえ食べるのが遅い私は、隣の男性がしっかりワインをおかわりし、すべての皿を平らげた頃、ようやく最後のデザートに手を付ける有り様だった。そして、すぐさま食事のトレイは下げられ、次は機内セールス。ビジネス絡みの旅客が多かったせいもあるのだろう。私の目の届く範囲では買い求める人はいなかった。

「後十五分ほどで着陸します・・・」
そんなアナウンスが雑然とした客室に響き渡った。私の隣では、先ほどの慌ただしさはどこへやら。初老の男性は再び新聞を読み始めた。

デンマーク、コペンハーゲンに到着し、後は入国審査と手荷物のピックアップ、そして税関を通る。そして、自分の会社の職員からタクシーチケットをもらうとさっそくタクシー乗り場へ向かった。

乗り場にはタクシーが列をなしていて、こちらが待たされるようなことはなく、すぐにタクシーに乗ることができた。

荷物を積んでもらい、滞在先のホテルの名前を告げる。
運転手は英語が話せるようだった。しかも、ちょっと困ったことにおしゃべりが大好きらしい。会話の中で、私が初めてコペンハーゲンに来たことがわかると、運転しながら街のガイドが始まった。市内まで約二十分。ほとんどしゃべり通しである。揚げ句の果てに、
「食事をしよう」
と誘ってくる。どうもナンパをしているらしい。

その時の私の服装といえば、スーツ姿。気軽に男性が声をかけてくるような格好ではないと思ったのだけれど。
「仕事の仲間と待ち合わせをしているから」
と適当にごまかして断わった。着いて早々これでは先が思いやられる。

ホテルについてチェックインをする。日本人観光客でロビーはざわめいていた。

これで部屋でホッとできると思いつつ、エレベーターを待っていると、不意に後ろから声をかけられた。
「あの、何処かでお会いしなかったですか?」
振り返ると日本人の中年男性がスーツ姿で立っている。
でも、そのネームプレートからこのホテルの従業員であることが一瞬でわかった。
「は?」
「確か何処かでお会いしたような・・・」
私自身、記憶力がよいので、お客様かどうかくらいはわかる。誓ってこの男性を私は知らない。

「いいえ、お会いしたことございませんが」
キッパリ言うと、
「では私の記憶違いでしようか」
これで会話が終わると思ったらそうではなかった。
「でも、これも何かのご縁ですから、お茶でもいかがですか?」

タクシーの運転手の次は日本人男性か。しかも、勤務中ではないの?観光で来ているのならそれなりの答え方もあったかもしれないけれど、私はあくまでも仕事でここに来ているんだから!
きっとこの男性も異国の地で淋しいのかもしれないけれど、それに付きあうようなボランティア精神を、あいにくと私は持ち合わせてはいなかった。

「失礼します」
そう言うのと同時にエレベータ−のドアが開き、さきほどの観光客に紛れて私もそれに乗り込んだ。その男性が乗れるスペースはなかった。それにしても、どうして中年の男性にしか声をかけられないのだろう。
ちなみに当時の私は二十三歳。老けてみられる事はかなり深刻な悩みだった。
(私も年相応の風ぼうに見られるようになった今、その悩みは解消されているけれど、現在でもたまに外で声をかけてくる男性はすべてかなり年上の中年の方である;;)

ようやくホテルの部屋に辿り着いた私は、ドアの鍵を閉め、荷物を置くとベッドに倒れこんだ。とりあえず何事もなく一人でここまで来られたのだ。今までの緊張がとけて、一仕事終えたくらいの疲れがドッと押し寄せてくる。やはり看板をしょった移動は楽ではない。

ともかく、こうして一人旅は無事終了。コペンハーゲンでの滞在も何事もなく終わり、アンカレッジへ。

アンカレッジで再びグループの先輩達と合流。夕食をとりながら、さっそく一人旅の報告をする。
「なかなか他社のサービスを受ける機会がないし、いい勉強になったじゃない?」
「もしそういうシングル・パターンになったら、いろいろ教えてもらわなくちゃね」
「全く心配ないですよ、この『ど』ジュニアの私だって問題なく辿り着いたんですから」

こうして大仕事を終えたかのような錯覚に陥っていた私だけれど、実際の仕事の方は相変わらず先輩に教わることばかり。今回の経験は、国際線スチュワーデスとして、海外に出ることへの「度胸」という収穫の旅にはなったものの、私が国際線で一人前になるまでには、まだまだ時間と修業が必要だった。

 

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