◆ スチュワーデスへの道 〜 入社教育

 「入社教育」で羽田の訓練センターへ通う日々が二週間ほど続いた。
前半の一週間は「期」ごとに分かれて座学を受け、残りの一週間は地上研修先の業種に分かれてからそれぞれ教育を受けることになる。

訓練センターへ通うからと言って制服を着ることができるわけではない。私たちはあくまでも「新入社員としての教育」を受けるために会社へ来ているので、まだ「スチュワーデス」になれるわけではないのだから。まして、三ヶ月の試用期間を無事終えなければ「正式な社員として雇用する」という会社のお墨付きがもらえないのだった。建て前は「新入社員」を名乗っていても実はまだまだ微妙な立場といえる。

さて、最初の一週間の座学では、会社の業務の流れなどに加えて少しずつ「接客」を意識させるような授業も加わってきた。

とても印象に残っているのは、ビデオカメラを使った授業だった。それは、いつもの自己紹介の様子をビデオカメラに録画し、あとからその姿をみんなでチェックするというもの。しかしそれが「人のふり見て我ふり直す」ということを狙ったものかどうかは定かではない。

「まず、そのドアのところからカメラの前にある印のところまで歩いてきてください。そして、カメラの前で一礼して自己紹介を始めて。だいたい二分程度・・・」
カメラの画面はまずその人の全体を映し出し、一礼して自己紹介を始めたあたりから上半身のアップになる。そして最後の一礼をするときにはまた全身が画面に写るという流れ。このような説明が教官からあって、出席番号順に自己紹介の姿をカメラに収めていった。何人か収録してから講評、そして録画、の繰り返し。

当時は今ほど「ビデオカメラ」が身近なものではなかったので、
「自分の姿を画面を通して見る」
という行為は非常に違和感のあるものだった。録音した自分の声を聞く時に抱くあの感じとは違っている。女性の場合、鏡の中の自分を見るのは、お化粧をする時で慣れているはずなのだけれど、この場合、やはり「顔」と言う部分だけを映すのではなく、全身が画面に映し出される上に、「人がどう自分を見ているのか」を真っ正面から観察することになる。
「これがあなたの姿です」
と言う紛れもない事実を突きつけられるわけで、本人としては結構辛い作業だ。「見られる」のではなくて「観察される」という行為はまるで檻の中の動物のよう。猿山のサルさながらである。歩き方、立ち止まってカメラのほうへ身体を向けるときのバランス、お辞儀のしかた。たった二分のあいだにその人の「癖」のようなものがまさにその画面に映ってしまうという怖さ・・・。

さて、自分の番になった。人のアラはよく見えるのだけれど、自分はどう見られているのかまではさすがに気が回らない。まして、どう見せようかなんて考えられるはずがない

「(一礼して)○○○と申します・・・。」
いかにも就職試験で場慣れした感じで自己紹介をはじめる。同期達が座っている席の手前にカメラがあるので、そのレンズとにらめっこしているような気分になる。勿論、カメラは相づちを打ってくれないわけで、人に話しかける状況とはほど遠く、私にとってはこの上なく不自然な状態。話す相手が人間でないと、こうも難しいものなのかと、改めてテレビのアナウンサーや、俳優さんたちがただ者ではないことを実感した。

その様子を再生したものを自分で見てみると、思わず目を覆いたくなった。心なしか身体が前傾しており、非常に不自然な様子になっていたのだ。案の定、
「少しあごが上がっているようなので引いたほうがいいですね」
と教官からお言葉をいただいた。

でも、まだ私はいいほうだった。と言うのも、同期からの「つっこみ」が入らなかったから。例えば地方出身者の場合、多少イントネーションが標準語からずれていたりすると、
「話の内容はいいと思いますが、イントネーションがおかしいです」
と容赦なく同期からの言葉が浴びせられるか、もしくはクスクスと笑い声が起こったりする場面もあった。中にはヒソヒソとその人の着ているものの批判までしだす人もいた。まるで、これまで自分たちが受けてきた面接のウサをはらしているかのように。批評されたほうは穴にでも入りたくなるような気持に違いない。顔を赤らめてただ聞いているしかないのだ。

しかし、同期の中には、全く違和感なくカメラに話しかけ、勿論カメラ写りもばっちり、と言う人が何人かいた。どうも学生の時代のアルバイトで慣れていたらしい。と言うことは、ある程度の経験を重ねれば、自分にもそういうことができるようになるのかもしれない。教官も最後に、
「初めから何でもできるようだったら教育する必要はありません」
とおっしゃったし。
「そうだ、できないからここで私たちは訓練を受けているんだ」
そう思うと少し気持が楽になった。

後半の教育ではそれぞれ地上研修先に分かれて座学を行った。私のように空港でカウンター業務にあたる者もいれば、総務部や業務部、それにチケットの予約センター(電話で予約をとる所)へ配属になる者もいた。これから客室乗務員になる身としては、実際の飛行機のそばで研修ができるカウンター業務に配属されたのはとても幸せなことだった。授業のほうは羽田でアルバイトしていたこともあり、楽勝。テストも難なくクリアした。

この入社教育の間にまた健康診断があった。身長、体重、視力、尿検査、採血、問診と簡単なものばかりだったが、試験でさんざんチェックを受けた記憶がよみがえり、
「どうして地上研修へいく前に健康診断を受けなければならないのか」
という疑問が残った。普通、健康診断といえば、せいぜい年に一度なのに。それだけ会社から信用されていないのか、いや、待てよ、とにかくまだ「試用期間内」なわけだから「体力や健康」もその「正式採用するか否か」に関わる重大事項ということなのかも。地上研修が終わったらおそらくまた同じ検査を受けて比較されているのだろう。数値が変わっていたら、例えば急激に体重が増加してしまったりしたときは、
「やはり採用は取り消します」
ということだって考えられる。そういえば、外資系の航空会社で、
「入社時の制服が着られなくなったらクビ!」
(この会社は入社時に身体にぴったりとした制服を作ってしまうので、プロポーションが崩れると、制服が着られなくなるのである。)
と言うところがあるくらいだから、案外、私を採用したこの会社も密かにそう言うチェックをしているのだろうか? まあ、いずれにしても「体力勝負」の職場で働くには健康管理は非常に重要なこととなるのだろう。

そんな健康診断の最中、私と同じ研修先に配属される同期が誰だかわかった。
何のことはない、問診を待っている間に、
「あなたの研修先はどこ?」
から始まって、
「そういえば誰々ちゃんが同じじゃないかしら?」
と言った具合にわかったのだった。
千歳空港へ配属されるのは、全部で三人。私の他は二人とも北海道出身者だった。一人は私よりも背が低く、もう一人はちょっと見上げる感じの、二人とも色白ではっきりした印象の顔立ち。
「やはり、北の方の出身の人は色白で、美人だわ」
などと納得させられてしまう二人だった。

二週間の教育が終わり、私たちはその週末に千歳行きの飛行機に乗り込むことになった。同期とは再び訓練が開始される約五ヶ月後までお別れということになる。期間が短かっただけに、「同期」といってもみんな顔見知りになったくらいで、中には名前と顔が一致しない人も何人かいた。

「地上研修」という響きは社会人になりたての私たちにとって、少し違和感があった。と言うのも、スチュワーデスになる前の段階として儲けられたこの期間が、果たして自分達にとってどれくらいのメリットがあるのかどうか、わからなかったからである。しかも、三ヶ月の「試用期間」はその研修中に設けられているけられている。スチュワーデスになりたくて、そしてそうなるべく入社した私たちは、畑の違うところで鍛えられ、試されるのだ。そう思うと、とても不安だった。しかも、私は今回、始めて親元を離れて生活をすることになる。自分の健康面と精神面をうまくコントロールできるのかどうか、また観光でしか訪れたことのない北海道という土地に馴染めるのか。そんな不安になる材料はいくらでも揃っていた。

 

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