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スチュワーデスへの道 〜 内定通知
三次試験は健康診断を含めた体力測定である。
視力から聴力、血液検査、その他いろいろなことをした。
変わったところでは、まず目隠しをし、手を上げてその場足踏みをするも
の。もちろん、自分はその場所で足踏みしているつもりなのだが、合図で目隠しを取ってみると確実に動いている。床にはどれくらい動いたかわかるように印がつけてあった。
もう一つは、椅子に座って目隠しをしたまま、頭を右に傾けて「あいうえお」と用紙に書く。次は左に傾けて。目隠しを外してみると、当然普通に書くのとは
違って、文字が歪んだりする。でも、これらで何を測定したのかは予想もつかない。
体力測定は、反復横飛びから始まって、おきまりの踏み台昇降まで。
受けていくうちに本当に「体力勝負の職場」なのだな、と思った。
私の試験結果は合格だったが、同じ大学の学生は何人か落ちてしまった
。
そのうちの一人は、「血が薄い」という理由だった。そのほかは「背骨が
曲がっている」「視力」「鼻腔が曲がっている」など。でも、彼女達は普通の生活をす
るのには何の支障もなく、むしろ元気そのもの。なのに不合格ということは、それだけ飛行機での仕事は特殊だという証明なのだろう。
さて、残すところは最終試験の筆記。
しかし、その四次試験の日に他社がわざと試験日をぶつけてきた。どちらの会社にするのか選択するように、という暗黙のプレッシャーをかけてきたのだ。私
は他社を受験していなかったので、その選択を迫られることはなかったものの、悩ん
でいる友達を見ると気の毒だった。彼女は「スチュワーデス」になりたいのであって
、航空会社に就職したい、という感覚ではなかったのである。天秤にかけてみて、受かる確率のあるほうの会社を選ぶことになり、結局他社の試験を受けることになった
。
(結果的に彼女はその航空会社の内定をもらうことができた)
そして、四次試験当日。
その頃になると、自然と顔見知りも増えてきた。そのせいか、試験会場の緊張感も少し違ったものになってくる。志願者の間では、
「一緒に試験をクリアしてき た」
という気持ちから、一種の仲間意識が確実に芽生えていた。
筆記試験の内容は、「一般常識」「英語」であった。
ここまでくると、もう後は運を天に任せるしかない。やるべきことはやっ
て来たのだから。
試験官が終了の合図をすると、受験生がいっせいにペンを置き、それと同時に会場内がざわめきだしたのだけは覚えている。
(それにしても、「一般常識」とは範囲のない問題である。しかも、「常識」の問題にパスして入社した人たちが「常識人」か、といえば100%そうだとはいえないわけだし。)
試験が終わったその足で、少し遅いお昼を同じ大学のみんなで食べに行った。その頃には「受かるかどうか」という話題は出ることもなく、時間があるようなら映画でも観に行こう、という事になった。そして、「男と女の名誉」(キャサリ
ン・ターナー、ジャック・ニコルソンが出演していた。原題はわからない)を観た。
あとは結果を待つのみであった。
そして、ついに内定通知が届く。
四次試験を受けた志願者はみんな合格したようである。(「水玉の子」も
その中に入っていた。)
試験を受けている最中は本当にどうなることかと思っていたが、いざ内定通知が手元に届くと、自分の気持ちが妙に落ち着いているのに気付いた。その頃にはすでに他の企業を受けていた学生のほとんどが内定をもらっている状況だったので、やっと自分にも内定が出たことで、
「ようやく彼女達とも負い目を感じることなく話ができる」
という気持ちの方が大きかったのかもしれない。
その後、年が明けてから「7月入社」になる、ということを知らされた
。
普通の企業は年度頭の4月に入社するのが普通である。しかし、乗務員の場合、
訓練をしてその資格をもらわないと仕事ができない。しかも新卒で採用されたの
は400名足らず。一度に訓練できる人数が限られている中で、入社の時期がまちまち
になってしまうのはごくあたりまえのことだった。
そして、会社からの説明では、入社後に「地上研修」がおよそ3ヶ月から6ヶ月間あり、ようやく「客室訓練」に入る、とい
うことだった。しかし、「国内線乗務」か「国際線乗務」かは未定。
道のりはまだまだ長いのである。
さて、入社待機期間中のある日のことである。
体力だけは落さないようにしようと、暇を見ては家の近くを走っていた。
すると、同級生にばったり会った。彼女も就職が決まったようだったが、
唐突に、
「スチュワーデスになるんだって?」
と私に確認してから、
「この間、海外旅行に行ってきたんだけど・・・」
と話しはじめた。
彼女によると、外資系のエアラインを利用したそうだ。
搭乗するとすぐに男性の客室乗務員が席に案内してくれて、荷物も上の棚にあげてくれたとか。女性の客室乗務員も感じが良かったが、それにひきかえ
日本のエアラインは、と始まった。
「荷物だって上にあげてくれないし、とっても不親切だわ。」
彼女が何を私にいいたいのかよくわからなかった。とにかくクレームをつけているのには間違いなかったが、悔しいことに反論すらできない。というのも、私はまだ待機している身であって、自分の会社のサービス云々が語れる状況ではなかったから。話を聞いていると、喧嘩でも売っているのか、とこちらが思ってしまうほどすべての言い方に刺がある。スチュワーデスになる事が決まっていることで、こんなに肩身の狭い思いをするとは思わなかった。
さんざん日本の航空会社のサービスをけなした後、彼女はついにこんなことを言いだした
。
「私も既卒で今度受けようと思って・・・」
その外資系航空会社がいたく気に入ったらしく、受験するという。話しているうちに、彼女がかなり前のことであるが、スチュワーデスになりたいという話をしていたのを思い出した。
「まあ、がんばってよ。」
そんな言葉を最後に彼女は立ち去っていった。
スチュワーデスという職業が具体的にどんなに大変なのか、当時はまだわからなかった。しかし、自分がスチュワーデスであるということで、同性には必ずしもいい感じを与えないものらしいことはわかった。ましてやその人がその職業に対
して憧れを持っていたとき、ある種の嫉妬をもって自分が見られることの恐さを知った。
自分自信の人格よりも「スチュワーデス」という看板が何歩も前にいってしまっている「不可思議な」状況は、今から思えば、このときからすでに始まっていたのだった。
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